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広島高等裁判所岡山支部 平成6年(行コ)12号 判決

控訴人

岡山電気軌道株式会社

右代表者代表取締役

松田基

右訴訟代理人弁護士

近藤弦之介

藤原健補

奥田哲也

被控訴人

岡山県地方労働委員会

右代表者会長

上村明廣

右指定代理人

甲元恒也

西井秀生

萱尾善雄

安延健一

山本忠明

岡﨑昭憲

被控訴人補助参加人

私鉄中国地方労働組合岡山電軌支部

右代表者

中谷道弘

右訴訟代理人弁護士

奥津亘

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  当審における訴訟費用は控訴人の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決を取り消す。

2  岡山県地方労働委員会岡委平成元年(不)第一号岡山電気軌道不当労働行為救済申立事件の、平成三年一二月二〇日付け命令(以下「本件命令」という。)を取り消す。

3  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二  被控訴人及び同補助参加人

主文と同旨

第二当事者の主張

一  双方の事実上の主張は、原判決の事実摘示のとおりであるからこれを引用する(但し、原判決一三頁一〇行目「違法ではなかった。」を「控訴人が主張するような、労働基準法二四条一項違反はなかった。」と改める。)。

二  控訴人の補充主張

1  請求原因1(ストカット)について

(一) 控訴人と補助参加人との間に、昭和六一年ころまでに、基本給以外の賃金についてストカットをしない労使慣行が確立していたような事実はない。

控訴人が昭和六一年まで基本給以外の手当についてストカットを実施しなかったのは、会社の業績がまずまずであったことから、任意的、恩恵的に実施しなかったもので、本件労働協約九五条についてルーズな運用をしてきたに過ぎない。

(二) 基本給以外の賃金についてはストカットをしないことが反復継続されてきたことによって、これが慣行的事実と認められるとしても、慣行的事実には規範的効力はなく、将来の行為を拘束する効力はない。

慣行的事実が将来の行為を拘束する効力を有するに至るのは、それが、「事実たる慣習」(民法九二条)としての成立要件を充足した場合であって、そのためには、〈1〉同種の行為・事実が長期間反復継続して行われていたこと(慣行的事実)のほか、〈2〉その行為・事実が多数の当事者間において行われ、あるいは存在していたこと(普遍性)及び〈3〉当該労働条件についてその内容を決定しうる権限を有し、あるいはその取扱いにつき一定の裁量を有する者が規範意識を有していたこと(規範意識の存在)が必要とされている。

しかし、本件では、〈1〉の慣行的事実は認められても、〈2〉の普遍性及び〈3〉の規範意識の存在は認められない。とりわけ、〈3〉の規範意識の存在が認められないことは以下の事実から明白である。即ち、控訴人は、昭和六〇年までの経営の業績は人件費比率からみてもまずまずの成績であったことから、ストカットについては任意的、恩恵的に基本給のカットにとどめてきたところ、昭和六一年度から人件費比率が上昇を始めたので経営に危機感を抱くに至り、かつ、昭和六二年のストライキにより相当の損害を被り、さらに経営が悪化することになったので、ストカットを従前のように任意的、恩恵的にルーズに運用することは許されない状況となり、止むなく、取りあえず昭和六二年の臨時給与と住宅(第二)手当についてストカットを始めたのである。そして、昭和六三年には、人件費比率が昭和六二年度も前年と同率の二パーセント上昇して七〇・四パーセントとなったうえ、昭和六三年のストライキにより相当の損害を被り、さらに経営が悪化したので、控訴人は、一段と経営の悪化に危機感を抱き、住宅手当と精勤手当についてもストカットを実施した。しかも、控訴人は、右ストカットについても二四時間ストについてのみ実施するにとどめ、時限ストについてはストカットをしないという任意的、恩恵的なルーズな運用をしている。右によれば、昭和六一年までストカットを基本給のみにとどめていたことが控訴人の任意的、恩恵的な意思による処置であったことは明白であって、楢村常務取締役をはじめ労働条件について決定したり裁量権を有する者には基本給以外にはストカットをしてはならないなどという規範意識は一切なかった。

(三) 以上のとおり、控訴人と補助参加人との間には「事実たる慣習」としての労使慣行の成立はないし、仮に慣行的事実は認められるとしても、慣行的事実には規範的効力はなく、将来の行為を拘束する効力はないから、その一方的な意思表示によって、将来に向けて破棄することができるところ、控訴人は、昭和六二年から基本給以外にもストカットを実施することによって、将来に向けて慣行的事実を破棄したものである。

(四) また、仮に、基本給以外の賃金についてストカットをしないという「事実たる慣習」としての労使慣行が認められるとしても、「事実たる慣習」は、相当な予告期間を設けて一方的に告知する方法により、あるいは、従前の慣行を改変する事実が継続することによって破棄、失効させることができると解すべきである。そして、本件において控訴人は、経営悪化のもとで昭和六二年以降、従前の任意的、恩恵的な運用を改め基本給以外の賃金についてもストカットを実施することを通知し、かつ、実施し、その後相当の期間を経過したものであるから、右「事実たる慣習」は失効したものといわねばならない。

なお、原判決は、確立した労使慣行を破棄するためには、その実施前にその理由及び必要性を示して交渉又は説得等の手続を踏むべきとしたうえ、控訴人は、本件ストカットの実施を一方的に通告し、補助参加人に合理的な理由を説明することもせず、補助参加人の提案を拒否したとして、それらを本件ストカットを不当労働行為と認定する理由としている。

しかし、「事実たる慣習」としての確立した労使慣行を破棄するには、相当な予告期間を設ける必要はあるとしても、その理由及び必要性を示す必要はなく、一方的な意思表示によってこれができると解すべきことは右に述べたとおりである。のみならず、控訴人は、毎年の春闘交渉など労使の団体交渉において、補助参加人に対し、業績の悪化と経営の合理化の必要性及びそれへの協力要請をしてきたのであり、補助参加人は、控訴人の業績悪化を充分認識しながら業績の改善や経営の合理化に非協力的であったものである。即ち、ストカットの理由は労使の団体交渉で説明されており、補助参加人は控訴人の業績の悪化、ストカットの理由、必要性を認識しながら協力せず反対していたのである。そこで、控訴人は、止むなく本件ストカットを通告し、実施したものであって、突然、一方的に通告したのでも、合理的な説明なしに実施したものでもない。

2  請求原因2(チェックオフ)のうち、本件命令主文二の取消しを求める訴えの利益について

本件命令主文二の取消しを求める控訴人の訴えは、本件命令が出された時点における本件命令の違法性を問題としている。

控訴人が実施してきたチェックオフは労働基準法二四条一項に反する違法なものであったし、また、少なくとも、昭和六三年一二月三一日の経過により本件労働協約が失効した後は控訴人においてチェックオフを強制される根拠(法的義務)はない。本件命令主文二は、法的義務を負わない控訴人にチェックオフを強制するものであり、救済命令の限界を超えた違法なものである。

控訴人がその後新たにチェックオフの協定を締結したのは、本件チェックオフ中止の違法を認めたからではなく、新たに協定の必要を認めたからである。

従って、本件命令が発せられた時点における本件命令主文二は違法なものであるから、右違法の有無につき裁判所の判断を求める法律上の利益があるというべきである。

3  請求原因3(脱退勧奨)について

バス業界は、モータリゼイションの発達による恒常的なバス離れ現象の中で他社との路線の競合で経営が悪化しており、控訴人の営業所の中でも特に高屋営業所は収入に対する人件費の比率が悪化し、その比率は八〇パーセント台に突入していた状態であった。そのような中で、高屋営業所の神崎所長は、合理化としての減便、人員削減を回避すべく、業績向上のための施策を実施し、従業員に業績向上、営業所再生のために協力を求め、また、成績不良の従業員には注意、指導を実施したものである。

太田克己、吾郷泰弘、早瀬隆正の三名は、神崎所長らのこれら業績向上、営業所再生のために次のとおり行った協力要請や注意、指導を組合脱退の勧誘と曲解したり、取り違えているものである。

(一) 太田克己については、粗暴運転、接客態度不良、早発、窓を開けての冷房運転等の勤務成績不良が認められていたところ、早発のクレームがあったのを機に運転態度等について注意、指導したものであり、その際、労働組合に入っていても勤務成績をあげて会社の収益を上げないと賃金は上がらないこと、業績が回復、向上しないと合理化の対象になるかもしれないことを述べたのであって、組合からの脱退を働きかけたものではない。

(二) 吾郷泰弘については、同人運転のバスに乗り合わせた神崎所長に同人から会社の将来について質問があり、説明の機会を持つことを約束していたものであり、会社や組合のことを心配し、組合もお先真っ暗という同人に対し、会社の厳しい現状、人員削減や配置転換の可能性について説明し、営業所の模範として営業所の業績の向上、再生への協力を要請したのであり、組合脱退を勧誘したのではない。

(三) 早瀬隆正については、当時の運行管理者の定年退職の予定から運行管理代務者の補充の必要に迫られていたところ、営業所としては同人を推挙することに決定し、同人に意向を訪ねると、同人が運行管理代務者になると組合を脱退しなければならないと誤解していたので、代務者と組合員資格の関係を説明し、代務者即ち組合脱退ではなく、組合問題は関係がないことを説明したものであり、組合脱退を働きかけたのではない。

第三証拠関係

証拠関係は、本件記録中の証拠関係目録に記載のとおりであるからこれを引用する。

理由

一  当裁判所も、控訴人の訴え中、本件命令主文二の取消しを求める部分については、これを却下すべきであり、その余の控訴人の請求についてはこれを棄却すべきものと判断するが、その理由は、次のとおり補充するほかは、原判決の理由と同一であるから、これを引用する(但し、原判決二六頁六行目「格別に」を「各別に」と、同二七頁九行目「(二)の」を「右の」と、同二八頁一〇、一一行目「七三〇〇円」を「六七〇〇円」と、同三二頁七行目「回答し、」を「回答した。また控訴人は、」と各改め、同四二頁四行目「カットが」の次に「、何らの根拠もないにもかかわらず」を加え、同五三頁九行目冒頭の「ウ」を「エ」と、同六二頁一行目「一号」を「二号」と各改める。)。

二  控訴人の補充主張1について

控訴人は、当審においても、控訴人が、昭和六一年まで、基本給以外の賃金についてストカットを実施しなかったのは、任意的、恩恵的にしなかったもので、本件協約(ママ)協約九五条の運用をルーズにしてきただけに過ぎないとして、基本給以外の賃金についてストカットをしないという労使慣行が確立していたことを争い、新たに(証拠略)(控訴人の常務取締役岡田伍郎、同楢村普典の各陳述書)を提出する。しかし、既に認定したところ(原判決の理由の一項の1の(二))からすれば、控訴人もまた、昭和四一年の祝日手当は別として、昭和六一年までは、基本給以外の賃金はストカットをしないことを当然のこととして受容してきたのであって、それを規範として受け入れ、本件労働協約九五条や本件賃金規定等を解釈、適用してきたものと解され、昭和六一年ころまでには、控訴人と補助参加人との間で基本給以外の賃金についてストカットをしないという労使慣行が確立していたことは明らかであって、前掲(証拠略)中、これに反する部分はにわかに措信できず、他にこれを左右するに足る証拠はない。

また、控訴人は、仮に基本給以外の賃金についてストカットをしないという労使慣行が確立していたと認められるとしても、「事実たる慣習」としての労使慣行は、相当な予告期間を設けて一方的に告知する方法により、あるいは、従前の慣行を改変する事実が継続することによって破棄、失効させることができると解すべきであると主張する。しかし、基本給以外の賃金についてストカットをしないという確立した労使慣行の破棄、改変は、補助参加人所属の組合員の控訴人に対して有する賃金請求権の内容を変更するものにほかならないから、これが可能としても、合理的な理由と必要性のあることを要すると解されるし、また、手続的にも、その理由及び必要性を示して、交渉又は説得の手続を踏むべきであり、それらを要しないとの控訴人の主張は採用することができない。そして、本件において、その理由及び必要性を示しての交渉又は説得の手続が控訴人によって取られたと認めがたいことは既に認定したとおり(原判決の理由の一項の1の(二)の(7)ないし(9)、同一項の1の(三)の(2))であるし、昭和六二年のストカット通告及びその実施後の期間の経過により、右労使慣行は破棄ないし改変され、失効したとする控訴人の主張が採用できないことも既に認定したとおり(原判決の理由一項の1の(三)の(1))である。また、右労使慣行の破棄の理由及び必要性に関しても、経営悪化による経営合理化の必要があったことは認められるにせよ、控訴人が、昭和六二年以降行ったストカットは、むしろ、控訴人が補助参加人の活動を嫌悪し、行われたストライキに対する報復と将来のストライキを抑制し、その結果として賃金の増額を抑え、ひいては組合の弱体化を図る目的で行ったものと認められることも既に認定したとおり(原判決の理由一項の1の(三)の(2))であって、請求原因1に関する控訴人の補充主張は、いずれもこれを採用することができない。

三  控訴人の補充主張2について

控訴人は、本件命令後の平成四年二月二一日、書面による協定を締結して、補助参加人の組合費及び闘争積立金のチェックオフを再開したものであるから、右再開の時点以降、本件命令主文二はその基礎及び拘束力を失ったものであり、これが形式的には残っていても、控訴人は何ら不利益を受ける訳ではないから、その取消しを求める法律上の利益を欠くものであることは既に認定、判断したとおり(原判決の理由一項の2の(二))である。

もっとも、例外的に、なお、控訴人においてその取消しを求めなければ回復できない法律上の不利益を被っていると認められるような場合には、その取消しを求める訴えの利益が認められて然るべきであるが、控訴人の補充主張を斟酌しても、そのような不利益を控訴人が被っているとは認められず、訴えの利益を認めることはできない。

四  控訴人の補充主張3について

控訴人は、太田克己、吾郷泰弘、早瀬隆正の三名に対し、業績向上、営業所再生のための協力要請や注意、指導を行っただけであると主張するのであるが、高屋営業所の神崎所長ら職制が、それにとどまらず、むしろ、それに名を借りて組合からの脱退を働きかけたものと認められることは既に認定したとおり(原判決の理由の一項の3)であって、当審における補充主張を斟酌しても、右認定を左右するには至らない。

五  結論

以上の次第で、原判決は相当であって本件控訴は理由がない。

よって、本件控訴はこれを棄却し、当審における訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九五条、八九条、九四条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 浅田登美子 裁判官 小澤一郎 裁判官 上田昭典)

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